たまりば

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Posted by たまりば運営事務局 at

古墳はいまでは公園になっている?

2014年07月17日

1964年には弥生時代から古墳時代前期にかけての墓制の1種である

方形周溝墓(土壙の周りに方形の水をめぐらす)が、
八王子市稲作の発展で最初に確認されている。

稲作の発展、農耕に基づく社会の発展とともに、

関東地方各地に有力な豪族が誕生し、
次第に階級社会の特質が目立ち始めた。

豪族の墳墓で、その一族の権威の象徴でもあった古墳の築造が都内で始まるのは4世紀後半で、
全国的に見た場合、古墳時代前期の事であったとされている。

多摩川の下流域は、川に沿って多くの古墳が集中することで注目される。

世田谷区玉川、野毛大塚古墳、大田区田園調布の宝来山古墳、
亀甲山古墳の様に規模は大きく国またはとの指摘に指定されたものも多い。

このことから南関東屈指の有力な集団政治(豪族)がこの地に勢力を振ったことが推測できる。

この古墳の多さが今東京での公演の多さにつながっているのかなぁ。

意外に公園が多い緑の多い東京都なんだよね。  


  • Posted by たまたまタマホーム at 18:10Comments(0)東京の歴史

    さらに遡って弥生文化や古墳の話。

    2013年07月14日

    稲作と金属の使用に特徴づけらる弥生文化は主に朝鮮半島から伝えられた外来文化だった・・・

    っていうのは学校でも習ったよね。

    弥生時代中期、西暦紀元前後の後だったと思われます。

    弥生文化の呼称は、この時代固有の時が弥生土器と命名されたことに始まるが、

    「弥生」の名前自体が文京区弥生鳥の名前に由来するんだ。

    という事は弥生文化発祥の地は文京区?か

    この時代の遺跡は荒川区道灌山(どうかんやま)・北区亀山・大田区久が
    原・板橋区前野町などに点在しているが、数としてそれほど多くは無い。

    稲作技術の未熟なこの時代、水田化が可能な土地が限られていたことがその理由なんだろうね。

    こんだけ広い関東平野ができるって言うことがそこにはやっぱり水田が作りやすかったんでしょうねぇ。
      


  • Posted by たまたまタマホーム at 17:23Comments(0)東京の歴史

    武蔵野国の前の東京。

    2013年06月28日

    東京が有名になったのは江戸時代?鎌倉時代?...だいたい鎌倉時代の武蔵野国や有名だよね。

    でもその前からこの地には人がたくさん住んでいたんだ。多くの豪族はバラバラです.

    で勢力争いをしていたんだよ。まるで東京23区が1区ごとの自治区これみたいなもんだね。

    結局今も昔も変わらないのかも。

    その中で1番有名なのが武蔵国の豪族笠原直使主(かさはらのあたいおみ)が、

    東関東の大豪族、上毛野君小熊(かみつけぬのきみおぐま)と結んだ同族のオキと国造(くにのみやつこ)の地位をめぐって争い、

    大和朝廷の救援を得てオキを打倒したと記しているんだ。

    多摩川流域の古墳群は、その争いに敗れたオキ一族とする見方もある。

    勝利を得た笠原直使主(かさはらのあたいおみ)ば朝廷から国造に任じられ

    いずれも武蔵南部の多摩川.鶴見川流域で

    大和朝廷をここに武蔵地方を支配する拠点を得たことになるんだ。
      


  • Posted by たまたまタマホーム at 09:51Comments(0)東京の歴史