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古墳はいまでは公園になっている?

2014年07月17日

1964年には弥生時代から古墳時代前期にかけての墓制の1種である

方形周溝墓(土壙の周りに方形の水をめぐらす)が、
八王子市稲作の発展で最初に確認されている。

稲作の発展、農耕に基づく社会の発展とともに、

関東地方各地に有力な豪族が誕生し、
次第に階級社会の特質が目立ち始めた。

豪族の墳墓で、その一族の権威の象徴でもあった古墳の築造が都内で始まるのは4世紀後半で、
全国的に見た場合、古墳時代前期の事であったとされている。

多摩川の下流域は、川に沿って多くの古墳が集中することで注目される。

世田谷区玉川、野毛大塚古墳、大田区田園調布の宝来山古墳、
亀甲山古墳の様に規模は大きく国またはとの指摘に指定されたものも多い。

このことから南関東屈指の有力な集団政治(豪族)がこの地に勢力を振ったことが推測できる。

この古墳の多さが今東京での公演の多さにつながっているのかなぁ。

意外に公園が多い緑の多い東京都なんだよね。



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    Posted by たまたまタマホーム at 18:10│Comments(0)東京の歴史
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